古地図や古文書には、昔の地形や景観、また地震などの自然災害にかんする情報がたくさんふくまれています。日本書記の中に記されている、飛鳥時代後期の白鳳地震(684年)の状況などは、その代表的なものでしょう。古文書等については先達による多くの研究がなされているおかげで、私たちにもそうした情報を抽出することは可能です。
いっぽう地球観測衛星に搭載されている各種のセンサー・レーダーによるデータを利用すると、地表の植生や土壌水分など、さまざまなことがわかります。さらに、地図や航空写真ではよくわからない、特異な地形などに気づくことがあります。しかしそれが何を意味するのか、わからないことも少なくありません。
そこで地球観測衛星による観測データという宇宙技術の成果と、古地図や古文書などから抽出する情報、すなわち人文科学の知識を融合したら、もっと新しい世界が見えてくるかもしれません。「宇宙・人文学」とは、そういう文系理系の垣根を越えた、文理融合の新しい領域です。
はじめに
縄文集落の研究
下の画像は、男子高校生による「縄文集落の研究」です。東京・武蔵小金井市の、JR中央線の南側に国分寺崖線という断層があり、その付近にいくつかの縄文集落の遺跡が見つかっています。自宅の近くだそうです。
すぐ近くには野川という川があり、さらに少し南には多摩川もあるのに、縄文人たちはなぜこんなところに集落を作っていたのだろうという疑問を、かれは持ちました。
ヒトが生活をしてゆくためには、少なくとも水と食料が必要です。それは動物も同様です。縄文人たちは、野川や多摩川の近くには住まないで、わざわざ水を汲みに行っていたのか。
地球観測衛星 Landsat 8の熱赤外線センサーのデータで、遺跡付近の春夏秋冬の画像を比較すると、温度変化が小さいことがわかりました。つまり、湧水があるらしいのです。しかも温度変化の小さいエリアは、曲線で連なり、いくつもありました。さらに近赤外線データでは、そのあたりに植物が多いこともわかりました。水があり、植物もあれば小動物も棲息していたと思われます。
こうして得られたデータを、可視化した画像とかさね、さらに標高データを加えて立体視にすると、いずれも崖線沿いにあることがわかりました。
川は、魚貝という恵をもたらしますが、ときに氾濫します。飲み水の確保と食糧調達のバランスを考えると、崖線沿いのほうが、生きてゆくうえでは安全だったのでしょう。
東山道武蔵路の研究
約1300年前、律令国家の日本に「五畿七道」が制定されました。詳細は後述しますが、この法令にともない、7つの官道が建設されます。その1つである「東山道」には、現在の群馬県から東京・府中市の武蔵野国府へ向かう、東山道武蔵路が作られます。上の図にあるように、武蔵路には「Y字路」があり、分岐点は群馬県太田市にあったとされています。しかし「Y字路」の右の部分、つまり太田~足利のルートがあったとされる地域で、道路遺構らしきものは見つかっていません。専門家からも、太田~足利ルートはなかったのでは、という意見が出ました。この疑問に、市立太田高校の生徒が取り組みました。
高校生たちは、その地域の土質や歴史的背景など、作業を分担して2年がかりの調査をしました。
初年度は、関東平野における縄文時代から現代にいたるまでの海岸線の変化を、衛星データをもとに詳細にデータベース化する作業です。平行して、複数の解析ソフトを使いこなす練習をしました。そして2年目は、ソフトによって土壌指数や植生指数を計算です。
すると、大雨の翌日も乾燥した日も、そこの土壌水分が高いことがわかりました。つまり水はけが悪いのです。さらに近代の歴史を調べると、明治初期に発生した公害・足尾銅山事件も浮かび上がりました。銅山から出た鉱毒が、渡良瀬川に流出し、川の氾濫によって広がり、この付近に溜まってしまい、公害をもたらしたのです。
おそらくは1300年前にも水はけが悪く、当時の技術では官道を建設することはできなった。したがって「太田~足利ルートは存在しなかった」という結論を、高校生たちは出したのです。
コシヒカリと学校田の研究
新潟県の南魚沼は、コシヒカリで知られる水田地帯です。長岡市の各小学校には「学校田」という水田があり、6年生は5月になると、田植えをします。そして秋には実ったイネの収穫。下の画像は、田植え前の5月(左)と刈り入れ前の8月(右)の魚沼地方を、地球観測衛星ALOS(だいち)によるデータで作ったものです。田植え前の水田は茶色、刈り入れが近い8月はきれいな緑になっているのがわかります。
これを同日のデータから近赤外線データで合成したのが、下の画像です。左が5月、右が8月です。植物の光合成が活発になると、太陽光のうち近赤外線が強く反射されます。その近赤外線を”赤”で表した画像です。
2つの画像を比較すると、8月の水田ではイネが活発に成長していることが、一目瞭然です。そして9月には刈り入れです。子どもたちはこうして、コシヒカリの田植えから収穫まで経験をし、やがて卒業してゆくのです。
中学校の学区は、それまでよりも広い範囲になります。したがっていくつかの小学校から子どもたちが入学します。そして友達になると、学校田での経験などが話題になります。ある中学校で出た話題が、学校田での「刈り入れの日」でした。A小学校とB小学校、C小学校で、バラバラだったのです。田植えをした日は同じなのに、どうして 刈り入れの日はちがうのか。子どもたちなりに疑問を感じたのでした。
下の画像は、近赤外線による8月のデータを、立体視にして拡大したものです。中央に信濃川、右手に越後山脈の山麓、左手にも低い山並みがあります。両側を山にはさまれた魚沼の平野は、場所によって日照時間に少しずつ差が生じ、「刈り入れの日」のちがいになっていたのです。画像を詳細に見ると、場所によって、赤い色の濃さにわずかなちがいがあります。衛星データでは、こんなこともできるのです。
地球観測衛星のデータを利用すると、さまざまなことが見えてきます。古代史や古典文学に描かれている景観の再現や、疑問の解明など、楽しい世界がひろがります。
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管理者 中野不二男